大切な仕事仲間が病で亡くなりました。
突然の連絡でその時は頭の中が真っ白になりました。亡くなってから2週間経った先日、近しい人たちと一緒にご自宅へ行き彼の写真の前で手を合わせてきました。
同じ会社ではないけれども、それぞれの分野のプロとして1つの仕事を一緒にたくさんやってきた仲間たち、そういった仲間が居なくなるのは今回2回目です。
最近は以前ほど多くの仕事を一緒にしてませんでしたが、居なくなってみると、何か自分の一部が切り取られてしまったようで大変な喪失感があります。彼と一緒にやった仕事がよみがえってきて、もう同じように仕事ができないことに寂しさを覚えます。
彼=Mさんの会社は北欧系輸入住宅会社の名古屋営業所として営業しており、Mさんは社長兼営業マンでした。
知り合ったのは私が創業後数年経ったあと、今から13年前になります。
創業当時からお世話になっている設計士のK先生を通じて紹介してもらいました。
当時私には決まった取引先がなく、「この会社が現場監督を探しているので竹本さんやってみないか?」と言うお誘いにすぐに受けさせてもらいました。
彼は私の7つ歳下、私とは対照的な営業畑出身で、その明るい性格や社交的で憎めない性格からコンスタントに住宅を受注し、その現場監督を私は外注として請けていました。それから15~16件くらいの住宅を作りました。
彼は営業としては本当に一流でした。営業と言う一言では終わらせたくない、「新しい出会いを作る人、人と人を交流させること」そういった人が集まる場所を作るのがとても得意な人でした。
そしてそれが好きだったんだと思います。吹き抜けのショールームで、大きな楕円形のテーブルに集まり、朗らかにお客様と打ち合わせをしたのを今でもよく覚えています。
今彼のことを思い出すと「営業」と言う意味はどういうことなのかということを考えます。会社に行くと、彼の不機嫌そうなところを見たことがなく、いつも初めてのように気を遣ってもらったり、コーヒーを入れてくれたり近況を聞いてくれたりしました。
時々それがいつもそんな感じなので他人行儀に思えることすらありましたが、こちらに無節操に踏み込んでくるようなことは決してなく、彼は多分いつでもそんなふうに誰に対しても一定の距離をおいて、心地よく接していたんだと思います。
相手を気遣い、常に心地良い状態でいてもらうように自然にできていること。
それが営業、人と接することの関係の基本であり、営業の第一歩なんだと今思います。
私は時々感情そのままが表に直で出てしまうこともあるので本当に凄いことだと思います。
そういう性格だったからこそ新しいお客様は彼のその性格や接し方に魅力を感じ、もちろん提案力にも魅力を感じていたと思いますが、それ以上に彼の人間力に自分の家づくりを信頼して任せたいと思ったに違いありません。
さて、そうやって彼の良いところばかりが思い出されるわけですが、決して2人の仕事の仕方は最初から噛み合っていただけではありませんし、最後まで噛み合っていなかったのかも(笑)しれません。
彼は営業力はすごかったですが、その後の設計の詰めや施工面、予算管理の部分では結構甘い、ルーズなところがありました。
ルーズ=怠けているわけではなくて、それはそもそも得意か不得意かというところで、きっとそれがわかっていれば私ももう少し本質を捉えてヤキモキ、ヒヤヒヤしなかったと思います。当時まだ未熟な私は、それは彼の性格かと思っていました。それはただ苦手なだけだったんですね。
自分で言うのもなんですが、私も怠け者では無いんですが、苦手な営業が今でも板につきません。
私とは、よくそこのところ(営業対工事)としてぶつかり合いました。彼の作りたいものやお客様とシェアしている感覚はわかっているつもりですが、私としては何とも歯がゆい。
これだとお客様に迷惑かけちゃうよと、よく彼に詰め寄りました。
彼とは真逆で私は物件が決まってからの工事の進め方や実施設計部分を本命とする工務出身なので、彼の受注後の甘さが少々気になりました。
でもそこができないからこそ私がそこをフォローする意味で仕事をさせていただいていたのですから、これは当然なのですが。
「もうそろそろここの仕様を決めてもらわないと発注が間に合わないよ!ここの部分がこんなふうになっているけどこれってお客様に説明してあるの!?」
などと、グイグイ彼に詰め寄っていたのを思い出します。
そう言っても彼は逆ギレしたりせず「あーごめんなさい。今週中にはなんとか返事するから!」とか言って、低姿勢で謝ってくるので、こちらもそれ以上言えないのです。
しかしその約束も守らないことがあり(怒)彼のその憎めない性格にやられた人は数多くいると思います(笑)
いい加減にしてくれ〜。何度心で唱えたでしょう。
当時のLINEを読み返すと、そういった仕事でのバトルがたくさん書かれており少し気恥ずかしくなります。
でもそれぐらい私たちは真剣でした。
最後の目標に向かって家の完成を見るそこまでの熱い気持ちはお互いに同じだったと思います。
今考えるとそうやって言いたいことを言い進めてきたからこそ、一つ一つあの家が完成していき、お客様の手に渡り最終的には喜んでもらえたんだと思います。
私たちは社員同士ではなく、違う会社の人間が、ただ1つの家づくりのために集まり知恵やノウハウを出し合って家を作ってきました。1つの家が終わればそれで一旦解散し、次の家も一緒に作ると言う縛りは別段ありません。
その家ができてお互い馬が合わないと思えば、次は一緒にやる義務はありません。
それでも途切れることなく彼とは一緒に仕事をさせてもらいました。
「たけちゃんじゃないとダメなんだ」「たけちゃんがいいんだよねー」と(半分は彼の持ち前のリップサービスかもしれませんが)言ってくれました。
そういう事がさらっと言える人でした。自分の弱いところを認めて・・・人に頼る。
言えそうで言えない事です。
私もそうやって言われて嫌な気がしません。よっしゃやったろうか!と言うわけです。
「今度はこうやってやろうね」と言いながらまた新しい仕事を始めるのでした。
私たちは社員同士ではない。いつでもくっついて、いつでも離れることができる分、その間にあるのは仕事における仕事部分での信頼関係でしかありません。でもそれはクールな関係ではなく、仕事を通じて人間性をぶつけ合うような、そんな真剣勝負だったと思います。
私たちのような小さな会社の場合は、代表そのものが会社を表してるといってもいいです。そして仕事そのものが大好きで、それがその人の人生の大半を占めていたりします。仕事にその人そのものが出ると言っても良いでしょう。
今は私の会社で営業の形が出来、直接お客様と接していますが、私のところで家を建てるお客様と、彼のところで建てるお客様とはそれぞれ違うタイプのお客様だと思いますし、そこで作る家の醸す雰囲気も違うものになると思います。
作る家のスペックやデザイン、そういったものへの魅力を感じてもらうこともお客様が家作りのパートナーを決める上での大きな要因ではありますが、我々のような会社の場合は、やはり1番大きいのは会社の代表者や接する担当者、その人そのものに魅力を感じたり、話しやすかったり、任せたいと思う気持ちが大きいと思います。
でも、すべてのお客様に同じように気に入ってもらうことなんてできません。そもそもそんな家を作ろうなんておこがましい。
どんなことでもそうですが、人と人との「相性」と言うものがそこには存在すると思います。結婚もそう、友達もそう、何かの運命で人は出会い、そこからずっと続く関係になるのか?1回限りなのか?良い悪いではなくてそんなふうに世の中は動いているんだと思います。
彼と作ってきた建物は今でもお客様の生活を人生を支えています。それが今でも形として残っているところが私たちの仕事の救いだと思います。
彼との仕事はもうこれからはできないし、あんな風に言いたいことを言って仕事をするなんてことがこれからはそうそうないかもしれません。
1人のお客様との関係が唯一無二であるのと同じように彼とした仕事は彼としかできない仕事です。
思い返してみれば人との出会いやつながりは不思議なものです。
設計のK先生から彼を紹介してもらったことで、そこに出入りするコーディネーターさんと初めて出会いました。そのコーディネーターさんが連れてきたご主人と仲良くなり、今はそのご主人は独立し設計事務所を営み、私と一緒に家を作っています。
また彼の家の現場で知り合った電気屋さんや大工さんが今の私の会社のメインの職人さんとしてやってくれています。
数えればキリがなく・・・・。
彼と共に請負工事の横領事件に巻き込まれお金を失った時、その話し合いの場に債務者として来ていた取引先の建材屋さんと知り合い、そこが今ではメインの建材仕入れ会社になっています。
そう思うと13年前のあの時、設計のKさんに誘われ、あの場所でMさんと会えなければ、今の自分はあり得ません。
もっと言えば、あの事件が無ければ、私とMさんとの関係は深まらなかったと思います。
一緒に同じ人に騙され傷を負ったことで結束が高まり、さらに続けていくつかの仕事を組んでやりました。
今の自分の仕事を支えてくれている周りの人たちが、どれだけの人のつながりから自分の周りにいるかということを考えると、本当に一つ一つの出会いと言うものが自分の人生を変えると実感します。
気がつけば、本当に素晴らしい人に出会い囲まれて私は今生きています。
会社員を辞めて一念発起して自分で仕事を始めて以来、大変なことも何回かあったけど、必要な時に必要な出会いが訪れて、それが一生の長い付き合いになるご縁を生んできました。振り返ると、偶然では無く全てが必然に思えて来ます。
本当に不思議です。
そんな自分の環境がとても幸せに感じると同時に、今、信頼できる大好きな仲間たちと一緒に仕事ができる、この一瞬一瞬を大切にしなければと思います。
そして、「今日も悔いのないよう生きた!」そう思えるように1日1 日大切に使いたい。
今、本当にMさんにありがとうと言いたいです。
本当にスーパー営業マンでした。私にいろんな人との出会いをくれてありがとう。本当にそういうことを気楽に気持ちよくさらりとやってくれる人でした。
私にはそんなふうに人と人を結びつけるような余裕が当時はありませんでしたし、今でもあまりそういうことができてないような気がします。
私ができたのは決まったことを、目の前に差し出された課題を、ただただうまくスムーズに進めること、来たものを具体化して実現化すること。
そこだけはちゃんと守ってやる!それが頼まれた人への恩返しであり自分ができること、そう思ってやってきました。
彼には何かしら人を引き寄せる力がありました。彼の会社のそばを通るとなぜか電話をしたくなったりふらっと寄ってみたり、そうしたくなる相手でした。行くと何か心地よく迎え入れてくれそうなそんなウェルカムなムードをいつでも出していました。
もし今彼に何か話すことが出来るなら、「また仕事持ってきて、一緒に何か作ろうよ」と言う一言です。
なんやかんや言いながらそれが少しスムーズに行かなかったり、ちょっと最初の想像から違ったものであったとしても、やっぱり彼と仕事をすることに意味があるんだと思います。
私ではビビッてしまうような規模の仕事や難しそうな仕事でも、お客様やそのプロジェクトに惚れ込んでしまい、自分のところに持ってくる!その「引き寄せ力」は私には真似出来ません。その度に経験の無い事にもチャレンジでき、困難に当たる毎に自分を成長させる事が出来ました。
4年前に亡くなったデザイナーのHくん。彼の残した素晴らしい家の絵を見るたび思うのは、この仕事も彼としかできなかったと言う事。これから、彼の描く絵を俺が形にするぞ~と思った頃に彼は旅立って行きました。
今もしHくんと話ができるなら何を話すだろうか?
H君が生前に言った言葉を思い出します。「竹本さんの物件はやっぱり竹本さんらしいよね!」私の作った家を案内するとそんなふうに言ってくれました。(施工面でもそういう違いってあるんだ!)設計やデザインに比べて地味な仕事かもしれないけども、私はその時初めてそのことを知りました。
もしそういうものがあるんだとしたら、私はやっぱり自分にしかできない仕事で、その立ち位置でこれからもお客様や設計者や自分に信頼して頼んでくれている人に対する恩返しとして一生懸命答えていこうと思う。
そしてMさんがやっていたように、私は私なりの方法で人と人の出会いを作り、Mさんがしてくれたように、それをきっかけに次の人のつながりが生まれ、そのことで幸せが増幅していくそのような場が作れたらいいと思う。
奥様から聞いたのですが、いつも仕事のことを考えている仕事人間だったとのこと。人を和ませるためか、いつもおちゃらけたムードを自ら買っていたMさんの誰にも見せない本当の姿だと思いました。
元気になったらこの部屋で仕事をすると言い、大きな窓をつけた南向きの明るい部屋をこしらえていました。
まだ、そんな感じだからバリバリ仕事をしたかったんだと思います。
私が亡くなった彼らから教えてもらったこと、彼らにしかできなかったすごいこと。今それを噛み締めて、次に自分は何をするか。
もう直接仕事はできないけれど、彼らから受け継いだものを、これからの自分の仕事や人生に生かしていくことが、遅くなったけど、彼らへの恩返しになると思います。
そして何よりも自分の体を第一に気遣い、心も体も健全に保つこと。
そしてただ長生きするだけでなく一瞬一瞬、価値の高い人生を歩みたい。
Mさんありがとう。
これからも空の上の方から私の仕事を見ていて下さい!